高山街道

岐阜県北部に位置する高山市は、飛騨地方の中心地であることから飛騨高山と呼ばれる人気の観光地です。城下町の情緒を残す町並みを中心に、歴史と文化を感じるスポット、槍ヶ岳や穂高岳に抱かれた大自然まで、飛騨高山の観光スポットをご紹介します。

高山陣屋

江戸時代の代官所の建築が残る人気の観光スポット「高山陣屋」

  • 遺跡・史跡

江戸時代に幕府直轄領となった飛騨の支配拠点であった役所が「高山陣屋」です。幕末には全国に約60か所あったと伝わっている陣屋のうち、主要な建物が唯一現存しているのが高山陣屋で、国の史跡にも指定されています。高山陣屋では、公式な儀式が行われた49畳敷の「大広間」や裁判が行われた「御白州」、役宅の居間にあたる「嵐山の間」などを見ることができます。中でも、現存する江戸時代の米蔵として全国でも最大にして最古とみられる「御蔵」は外せない見どころ。陣屋前の広場では朝市が開かれることも有名で、飛騨高山を訪れる観光客が必ずと言っていいほど訪れる人気の観光スポットです。

大滝鍾乳洞

大滝鍾乳洞 (おおたきしょうにゅうどう)は、岐阜県郡上市にある鍾乳洞

ここでは、大滝鍾乳洞と同じ会社が管理運営する縄文鍾乳洞(縄文洞)についても記述する。

概要

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  • 1969年(昭和44年)に発見された鍾乳洞であり、観光用としては1970年(昭和45年)開業。
  • 全長は約2000mであり、うち約700mが観光用として一般公開されている。最深部には高さ約30mの地底滝があり、これが大滝鍾乳洞の名称の由来という。
  • 案内所から鍾乳洞の入口までは木製ケーブルカーが運行されている。鍾乳洞の出口は別であるため、このケーブルカーを利用するのは行きのみである。
  • 案内所周辺には、飲食店、土産物店、釣り堀などがある。

見所

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  • 天上界の鍾乳石群
  • 大滝 (落差約30m)
  • くじゃくの舞
  • 天の柱
  • 象牙の林
  • デコレーションケーキ

など

縄文鍾乳洞

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  • 大滝鍾乳洞からは車で約3分の所にある鍾乳洞。
  • 全長約800mの多層迷路型の洞窟である。観光用の鍾乳洞であるが照明設備は無く、内部を観光するには貸し出される懐中電灯を使用する。
  • 元々は安久田地獄穴洞窟という名称であったが。1970年(昭和45年)に洞窟の最上層で縄文時代の早期から晩期の縄文土器弥生時代弥生土器、人骨が見つかり、縄文時代から弥生時代にかけて断続的に利用された住居跡ということが判明している。このことから観光用の鍾乳洞として1971年(昭和46年)に縄文鍾乳洞の名称で開業している。
  • 安久田地獄穴洞窟遺跡として岐阜県の史跡に指定されている[1]

利用案内

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  • 休業日
    • 大滝鍾乳洞:1月・2月の平日。年末年始。
    • 縄文鍾乳洞:平日(夏休み期間は無休) ※変更の場合もあり
  • 入場料
    • 大滝鍾乳洞:大人1000円、中人800円、小人500円 ※飲食と組み合わせた料金プランも、別途設定されている。
    • 縄文鍾乳洞:大人500円、小人300円 ※大人は中学生以上
    • 大滝鍾乳洞と縄文鍾乳洞のセット:大人1300円、中人1100円、小人650円

所在地

  • 岐阜県郡上市八幡町安久田2298

犬山城旅行

犬山城(いぬやまじょう)は、尾張国美濃国の境、木曽川南岸の地「犬山」(愛知県犬山市(旧丹羽郡))にあった日本の城天守のみが現存し江戸時代までに建造された「現存12天守」の一つである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城松本城彦根城松江城)。城跡は「犬山城跡」として、国の史跡に指定されている[1][2]日本で最後まで個人が所有していた城(2004年まで個人所有)である。

概要

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犬山城主要部の空中写真国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
木曽川の犬山橋から望む犬山城
(2012年(平成24年)11月)

尾張国美濃国の境にあり、木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名の白帝城は木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられる。

前身となる岩倉織田氏の砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いた城であり、その後、池田恒興織田勝長が入城、豊臣政権の時に石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。また、小牧・長久手の戦い関ヶ原の戦いにおける西軍の重要拠点となった。

江戸時代には尾張藩付家老平岩親吉が入城し、成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説などがあるが、現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年元和3年)ごろである。2004年平成16年)3月末日までは日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月1日付けで設立された財団法人犬山城白帝文庫(現在は公益財団法人)に移管されている。2006年平成18年)4月6日には、日本100名城(43番)に選定された。犬山市は又、失われた建造物の木造復元や石垣、堀、土塁を調査して復元する計画もある。

書写山

標高371mの書写山山上に位置する圓教寺は、966年、性空上人 (しょうくうしょうにん)によって開かれた天台宗の古寺。

西の比叡山と称され、西国三十三霊場の第二十七番札所でもあり、ロープウェイを降りればそこは深山幽谷の世界。

境内には国や県指定の文化財が多く、京都の清水寺に似た「摩尼殿」や重要文化財の「大講堂」「食堂 (じきどう)」などは一見の価値あり。