■仕事のルール42「いつも前向きなジョークを」
これは米国に17年いたことでとても感謝していることの一つです。
私は日本にいた頃、超真面目で冗談一つ言えない、つまらない人間でした。それが、ある日突然米国に行くことになり、母に 「男になって来い!」、「ユーモアのセンスを身に付けておいで!」などと気合を入れられたのでした。「ええ!!人生22年生きてきて今さら外国に行ったくらいでそう簡単に性格変わるわけないでしょ?」と諦めムードで渡米しました。
ところがです。
超根アカのアメリカ人に絶大なる影響を受けて、私は超超超(超3つ)根アカになってしまいました。挙句の果てに、唯一の長所であったA型人間的つまりきめの細かい性格だったのが、O型中心社会であるアメリカ人に感化されて、いい面でも悪い面でも、ドンブリ勘定となり限りなくO型に近い性格に変身してしまいました。
元々自分の「みみっちい」性格に嫌気がしてましたので、大変喜ばしい変身を遂げたのです。本当に米国社会並びにアメリカ人には感謝しています。もし、米国に住んでいなければ今でもせせこましく生きていたことでしょう!
米国で生活を始め10年位が経った頃、気が付いたら根アカになっていました。何で気付いたかと言うと、大手国際会計・経営コンサルティング会社に勤めていたころ、締め切りとミスが許されないことのプレッシャーと毎日格闘していたわけですが、なぜだか元気でストレスが溜まらないのです。まわりの人はストレスが爆発し過度の心労から、ある日突然病気になったり、出社拒否したり、最悪の場合、行方不明になったりで毎週事件との遭遇でした。
私はその頃、日中はその会社に勤め、夜は経営大学院で教えたり、博士課程の学生として自ら授業を受講したりしており、殺人的なスケジュールをこなしておりました。
一歩間違えば発狂してもいいくらい、緊張感溢れる環境に置かれていたにもかかわらず、毎日リラックスし、楽しく学び働いていました。
日本にいたころ「融通性なし度」「不器用度」では右に出るものはそういなかった自分にどんな異変がおきたのか、今でも理解に苦しみます。一ついえる事は、緊張したり追い込まれたりすると、前向きなジョークが自然と出て、まわりの雰囲気を和ましているのです。
それがまた次へのやる気に繋がっています。 また、前向きなジョークは困難に直面した際、参加者の団結を図るのにも役立ちます。