奥入瀬渓流

深い自然林におおわれた奥入瀬渓流。そこには、千変万化の水の流れが生む躍動感あふれる景観が展開しています。両岸に迫る断崖は、軽石や火山灰が高温の状態で堆積し、熱と自重によって生成された溶結凝灰岩といわれるもので、奥入瀬の景観に迫力をもたらしています。
渓流に沿って流れとほぼ同じ高さに車道と歩道がつくられ、尾根や山腹の道から渓谷を眺めるのとは、また趣の異なった景観を味わうことができます。
大木の梢が幾重にもかさなり大空をおおい、緑のトンネルが続く散策道。森林美に魅せられて歩く約14キロの道のりは、感動の連続です。

紫明渓

紫明渓の写真

かつてこのあたりは、玉石を敷きつめたような河床に澄んだ水が流れる美しい場所でしたが、今では土砂がたまり、昔の姿は失われてしまいました。しかし、河原の広がりのあるこの付近は冬の景色が素晴らしく、季節と場所を選べば今も捨てがたい撮影ポイントのひとつです。

三乱の流れ

三乱の流れの写真

豊かな水量にもかかわらず、流れはそれほどきつくありません。おだやかな流れのなかに、ほどよく配置された岩の上には、さまざまな植物が生えています。撮影に最適の時期は、何といってもムラサキヤシオが岩の上に咲き乱れる5月中旬です。

石ヶ戸の瀬

石ヶ戸の瀬の写真

あまり激しい流れでもなく、かといってゆるすぎることもなく、といったイメージの石ケ戸の瀬。このあたりには緩急さまざまな流れがあり、テレビのCMなどでも見かける「いかにも涼しげな流れ」がふんだんにあります。

石ヶ戸の伝説

石ヶ戸の伝説の写真

「ケ戸」とはこの地方の方言で「小屋」の意。つまり「石ケ戸」とは石でできた小屋、いわゆる岩屋を意味しています。実際、大きな岩の一方がカツラの巨木によって支えられて岩小屋のように見えます。そして、この自然の岩屋には、一つの伝説が伝えられています。
―昔、鬼神のお松という美女の盗賊がここをすみかとし、旅人から金品を奪っていた。その手口は、旅の男が現れると先回りして行き倒れを装い、介抱してくれた男の隙をみて短刀で刺し殺すとも、男の背を借りて川を渡り、流れの中ほどにさしかかるといきなり短刀で刺し殺したともいわれている―
ところで、この女盗賊が住んでいたという石を支えるカツラの巨木は二本あり、そのうちの一本は、樹齢二百年とも四百年とも言われていましたが、昭和63年8月、地上4メートルを残して折れてしまいました。

阿修羅の流れ

阿修羅の流れの写真

「奥入瀬を代表する」とも言えるのが、この阿修羅の流れ。テレビや雑誌、ポスターなどでも頻繁に紹介されています。
うっそうと茂った木立のあいだを、その名のとおり激しく流れる水がつくりだす景観は、とても男性的です。休日ともなれば、絵を描く人や写真を撮る人で、一日中賑わっています。

雲井の滝

雲井の滝の写真

うっそうとした森林にかこまれた断崖から、三段になって落下するこの雲井の滝は、高さ20メートル、水量も豊かで渓流沿いにある滝のなかでも、見ごたえのある滝のひとつです。支流から奥入瀬本流に落ち込む多くの滝は、長い年月のあいだに本流の川底が浸食され、本流と支流の河床のあいだに大きな落差が生じてできたものです。そしてその滝は、岩を少しずつ浸食しながら上流に向かって後退し、いつかは消える運命にあります。この雲井の滝は、その水量が豊富なことから岩が削りとられるのも速く、ほかの滝にくらべると、ずいぶん奥まったところまで後退しています。

銚子大滝

銚子大滝の写真1
銚子大滝の写真2

奥入瀬渓流本流にかかる随一の滝、銚子大滝は高さ7メートル、幅20メートル。水音高らかに水しぶきをあげる堂々たる滝です。流れ落ちる水は多量の水霧をうみ、木漏れ日がそこに幾本もの光の筋をつくります。銚子大滝は、滝の右手に伸びる断層や左から流れ込む寒沢の影響でできたと考えられており、十和田湖への魚の遡上を妨げ、魚止の滝とも呼ばれています。そのために長いあいだ、十和田湖には魚がすめないといわれてきました。
奥入瀬本流にかかる唯一の滝だけに、多くの人々の人気を集めています。春の新緑、夏の深い緑、秋の紅葉、そして冬の氷瀑と、四季それぞれに魅力的です。

子ノ口の水門

子ノ口の水門の写真

十和田湖の水は、農業用水や発電用など、多目的に使われています。奥入瀬渓流に流れ落ちる水も、実は「観光放流」という目的をもってこの子ノロの水門でコントロールされているものです。
奥入瀬渓流は、昔から湖によって流水が自然に調整されたことと、70メートルにつき1メートルというゆるい勾配のため、川のなかの小さな岩や倒木にもコケや潅木がはえ、独特の美しく繊細な景観をつくりだしています。
この美しい景観を維持するため、昼間は水門を開き一定の水を流し、夜間や冬期は水門がほぼ閉じられています。そのため、渓流は支流から流入する水量が主なものとなり水位も低下します。

河辺林・湿った環境の林

河辺林・湿った環境の林の写真

奥入瀬渓流は∪字形をした渓谷で、谷底の平坦部が比較的広く、湿った環境を好む植物が広く分布しています。
十和田湖という大きな湖を源とするこの川は、水量が安定し洪水も少ないのが特徴です。そのため土がよく肥えており、トチノキ、カツラ、サワグルミといった林が流れの両側に広く見られます。その暗く湿った林内はオシダなどのシダ類でおおわれています。
十和田名産として売られているハチミツは、このトチノキの花から採取されたものです。6月の中ごろ、トチノキがブドウの房を逆さにしたような花をつけはじめるころ、養蜂家がミツバチを使って集めます。一般のハチミツにくらべ少々赤味を帯び、ほどよい酸味があるのが特徴です。原生林が育んだ 味かもしれません。

河辺林・中州などの食物

河辺林・中州などの食物の写真

奥入瀬渓流もこのあたりは、比較的開けていて明るい感じです。そして広がりをもった流れは、しばしば中州をつくりあげます。このような中州や岸に治った堆稚地などの、洪水のときには水につかってしまうような不安定な場所には、ヤナギ類やタニガワハンノキなどの林が見られます。とくに中州などには、同じような背丈の タニガワハンノキがびっしりとはえており、独特の景観をつくっているのです。

林床の植物

林床の植物の写真

春まだ浅い5月。渓流沿いの林のなかでは、キクザキイチリンソウや二リンソウが一斉に花を咲かせ林床を埋めつくします。これらの植物は、雪解けから新緑までの短いあいだに、芽吹きから結実までを終えてしまうのです。そしてまわりの樹々の葉が生い茂るころには姿を消し、薄暗い林のなかはかわってシダなどの日陰を好む植物でおおわれます。

渓流の野鳥

渓流の野鳥の写真1
渓流の野鳥の写真2

うっそうとした原生林のなかを流れる清流。奥入瀬を訪れる人々が抱いているそんなイメージも、出発地点の焼山あたりではまだ見ることができません。しかし、川沿いを注意深く眺めれば様々なものが見えてきます。渓流の野鳥もその一つです。
河原の石の上で、長い尾をさかんに上下に振るのはセグロセキレイ。スズメより少し大きいスマートな鳥です。
また、川の流れのなかにはオシドリも見られるでしょう。その派手な姿も、自然の色のなかに見事にとけ込んでいます。
「キャラッ、キャラッ」という大きな鳴き声はヤマセミ。全身白黒の鹿の子模様が美しい鳥です。ヤマセミはいつでも見られるわけではありませんが、このあたりでは比較的よく見られます。
驚かされるような大きく長いさえずりの主は、ミソサザイです。天を仰ぎ、思い切り口を開け、小さな体を打ち振るわすようにさえずっています。
「ビッ、ビッ、ビッ」と鳴くのは、渓流の代表的な鳥の一つ、カワガラスです。スズメよりもだいぶ大きく、ずんぐりとした体つきで、流れに飛び込んでは、水中で餌をとっています。 
もう一つ、なかなか見られないかもしれないが、渓流にすむ美しい鳥がいます。アカショウビンです。渓流沿いの樹々の緑も出揃った6月ごろから、「キョロロロ…」という特徴ある声で鳴きます。アカショウビンという名は、全身赤褐色のその姿からついたとの説がありますが、このあたりでは「南蛮鳥」とも呼ばれています。

イワナ

イワナの写真

9月下旬、八甲田の頂にはじまる紅葉は、山裾を染めながら1カ月かけて奥入瀬渓流へと降りてきます。川面にうつる紅葉の美しさに目を奪われるこの時期、水のなかではイワナの求愛行動がはじまっています。ここ奥入瀬ではその姿をしばしば見ることができます。とくにこの時期に見られる求愛行動は、オスがみずから選んだメスにほかのオスが近づかないよう次々に追い払うという、興味深いものです。

カモシカ

カモシカの写真

この付近の渓流沿いの平坦地やそこにつづく斜面には、カモシカがたまに姿を見せます。1年を通じて見られますが、やはり樹々の葉が茂っていない早春や晩秋、そして冬の季節によく目にします。
うまく見つけることができた時には、とにかく静かにしてあまり動いてはいけません。そうすれば、かなり長い時間カモシカと対面していることができるでしょう。ブナの樹々のあいだからじーっとこちらを見ているカモシカと目と目が合った時には、都会では体験できない大きな感動が得られるはずです。
美しい奥入瀬の景観だけでなく、その奥の森のなかもじっくり見てみましょう。

トウホクサンショウウオ

トウホクサンショウウオの写真

5月末頃、このあたりのちょっとした水溜りには、勾玉のような寒天に包まれたカエルの卵に似たものが見つかります。トウホクサンショウオの卵塊です。 トウホクサンショウウオは半止水性のサンショウウオで、流れ込みのある水溜りに卵を生み、幼生はそこで育ちます。成体になると水辺を離れ、以後湿った落葉や朽ち木の下で過ごしています。
このほかに十和田周辺には、水の流れのあるところで見られる(流水性の)ハコネサンショウウオや池沼や大きな水溜りのようなところに卵を産む(止水性の)クロサンショウウオが生息しています。

十和田湖

十和田湖は青森県南部の十和田市と秋田県小坂町にまたがるで、「十和田湖および奥入瀬渓流」として、文化財の特別名勝及び天然記念物にも指定されています。 火山活動によって形成された二重カルデラは面積約60平方キロメートル、周約46km、最深部は約327mあり、深さは日本で第3位

奥入瀬渓流の清流の源でもあり、青く澄んだ湖水を貯える十和田湖は、青森県と秋田県にまたがっている。十和田八幡平国立公園を代表する景勝地のひとつでもあり、湖畔散策や遊覧船によるクルーズなどで、自然を満喫できるのも魅力だ。そんな十和田湖の見どころをはじめ、グルメ、お土産情報まで、おでかけの前に知っておくと便利な情報を紹介!(※記事内で紹介しているイベント、施設等は、休止・中止または内容が変更になっている場合があります。ご注意ください)

十和田湖ってどんなところ?日本で3番目の深さ、日本屈指の透明度を誇る風光明媚なスポット

周辺が国立公園に指定されている十和田湖は、約20万年前の火山活動によって形成された1周44キロのカルデラ湖。水深は327メートルあり、日本で3番目の深さという。さらに、クリアな湖水は約12メートルと日本屈指の透明度を誇り、奥入瀬川へと注がれている。その奥入瀬川は、十和田湖畔の子ノ口から焼山まで約14.5キロ続く奥入瀬渓流として全国的に有名だ。


そんな美しい湖水に生息する“十和田湖ヒメマス”も名物。このヒメマスは、1905年(明治38年)に初めて養殖に成功し、十和田湖に生息するようになったとのこと。秋にはヒメマス釣りが解禁され、ヒメマスを使った料理が周辺地域の名物グルメとなっている。

春は湖面に映る青々した木々と周囲を取り囲む山の雄大さを感じ、夏は湖水浴を楽しみに多くの人が訪れ、秋は赤や黄色に色付いた紅葉、冬はしぶき氷と、1年を通して十和田の大自然を楽しませてくれる。周囲には、乙女の像や十和田神社など見どころも多くあるので、湖畔をのんびり散策するのがおすすめだ。もちろん、遊覧船に乗船して湖からの景色を楽しむこともできる。

【基本情報】十和田湖の基礎情報をチェック!

十和田湖は、それぞれ特徴を持った5つのエリアに分かれている。まず、観光の拠点にしたいのが、ホテルやレストラン、土産物店などが多く並ぶ「休屋エリア」。十和田湖全体を見下ろした絶景を楽しむのなら、車で15分の発荷(はっか)峠展望台や、紫明亭(しめいてい)展望台がある「西湖畔エリア」がおすすめだ。自然に触れたり、奥入瀬渓流沿いをトレッキングするなら、「宇樽部(うたるべ)エリア」や「奥入瀬渓流〜子ノ口エリア」も忘れずに。そして散策に疲れたらちょっと離れた場所にある「蔦沼〜焼山エリア」の温泉街まで足を延ばそう。

【見どころ1】乗船しないと見られない!この絶景は必見

陸からは見られない、十和田湖遊覧船からの景色はぜひともチェックしよう。休屋の乗船城から出港している遊覧船は、子ノ口へ接続するAコースの「休屋・子ノ口航路」と、Bコースの「おぐら・中山半島めぐり」の2つの航路(共に大人1430円、子供720円)がある。

特に「おぐら・中山半島めぐり」は、十和田湖の名勝をぐるっと回れるのが人気。乙女の像を反対から眺めたり、六方石や見返り松、五色岩など、陸地側からはなかなか見られない景色を、50分間ゆっくりクルーズしながら堪能できる。

十和田湖国立公園協会の根岸さんにおすすめビューポイントを伺うと、「水面から220メートルの高さがある断崖絶壁・千丈幕は、自然のダイナミックさを感じてもらえると思います」とのこと。さらに、「水の青さも船の上からだとまた違いますし、紅葉の景色は特に美しいので、観光に訪れたのならぜひ乗船してみてください」と教えてくれた。

船内には、音声ガイドが流れているので、景色を楽しみながらスポットについて知ることもできるそうだ。休屋・子ノ口航路は、バスの代わりの移動手段として利用できる。
※両航路とも2020年は11月9日(月)までの運行。

【見どころ2】展望台からは十和田湖と外輪山が眺められる

車で訪れたのなら、ぜひ立ち寄りたいのが展望台だ。レイクビューの十和田湖も美しいが、上から見下ろしてみるとまた違った顔を見せてくれるのも魅力。いくつかある展望台の中でも、発荷峠(はっかとうげ)展望台は標高631メートルに位置し、最高のビューポイントとして人気。外輪山が一望でき、中山半島や御倉半島、西湖を眺めることができる。また、そこから少し奥に進んだところにある紫明亭展望台から、横になったハート型に見える十和田湖の景色が話題となっている。


さらに展望台からは、6月〜7月の早朝に条件次第で、雲海に覆われた十和田湖を眺めることができるそう。その条件とは、前日の昼間が晴天で夜に冷え込んだ、晴れの日の早朝6時頃。昼夜の温度差によって蒸発した湖水が霧となり現れる。雲に覆われた十和田湖は、神秘的かつ幻想的な雰囲気に包まれるという。

六義園

六義園

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六義園
Rikugi-en Gardens全景
秋の六義園 藤代峠からの展望
分類都立庭園特別名勝
所在地東京都文京区本駒込六丁目
座標北緯35度43分59.0秒 東経139度44分48.0秒座標北緯35度43分59.0秒 東経139度44分48.0秒
面積87,809.41m2
運営者東京都公園協会
2011~2015年度指定管理者
設備・遊具集会場(心泉亭)、茶室(宣春亭)
告示1938年10月13日開園
公式サイト公式ホームページ
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初夏の六義園 藤代峠からの展望大雪の蓬莱島

六義園(りくぎえん)は、東京都文京区本駒込六丁目にある都立庭園

目次

概要と沿革[編集]

六義園は、徳川5代将軍徳川綱吉側用人柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園である。1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて、起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させた。

「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する[1]。六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、紀州の和歌浦を中心とした美しい歌枕の風景を写して、庭園を造ろうと思い立った[2]。その設計は柳沢本人によるものと伝えられている。

1702年(元禄15年)に庭園と下屋敷が一通り完成すると、以後将軍綱吉のお成りが頻繁に行われるようになる。その回数は記録されているだけで58回もあり、吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園自体が当時にあっても天下一品のものと評価されていたことが窺える[3]

甲斐甲府藩主であった柳沢家は、吉保の子の吉里期の享保9年(1724年)に大和郡山転封となるが、六義園は柳沢家の下屋敷として幕末まで使用された。時代が下るにつれ徐々に荒れはしたものの、江戸を襲った度々の火災で類焼することもなく明治を迎えた。

明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれた。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、1938年(昭和13年)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった(有料)。東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、1953年(昭和28年)に特別名勝に指定されている。

1972年4月、都立公園無料化の一環で、六義園も無料化された。しかしカモアヒルニシキゴイなどが来園者に盗まれるなどマナーが極端に悪化[4]。このため他の公園とともに再び有料化が行われている。

見所[編集]

六義園は躑躅の花が特に有名で、地元では「駒込と言えばツツジの花の咲く街」と謳われるような象徴的な存在となっている。また庭園入口近くにある枝垂桜も、3月末に枝いっぱいの薄紅色の花を咲かせる名木として有名で、この枝垂桜の最盛期と紅葉の最盛期にはライトアップもされる。芝生の整備も行き届いており、都内を代表する日本庭園として名高く、海外からの観光客も多い。

  • 内庭大門(ないてい おおもん)    
  • 出汐之湊(でしおの みなと)
  • 妹山、背山(いもやま、せやま)
  • 臥龍石(がりょうせき)
  • 蓬莱島(ほうらいじま)
  • 石柱(せきちゅう) 
  • 滝見之茶屋(たきみの ちゃや)
  • 躑躅茶屋(つつじ ちゃや)
  • 藤代峠(ふじしろ とうげ)
  • 蛛道(ささかにの みち)
  • 渡月橋(とげつきょう)
  • 枝垂桜
  • 夜の枝垂桜(2010年4月1日撮影)
  • 山陰橋(やまかげばし)
  • 藤代峠からの展望
  • 晩秋の渡月橋

アクセスなど[編集]

  • 所在地:東京都文京区本駒込6丁目
  •  JR山手線駒込駅南口より、または  東京メトロ南北線駒込駅2番出口より、徒歩7分(正門)。
  • 繁忙期[5]には駅正面の染井門が開かれ、JR山手線駒込駅南口より、または地下鉄(東京メトロ)南北線駒込駅2番出口より、徒歩2分。
  •  都営三田線千石駅A3出口より徒歩10分。
  • 開園時間:午前9時-午後5時(入園は午後4時30分まで)(時期により延長することがある)。
  • 駐車場:なし。

イベント[編集]

桜と紅葉の見ごろに合わせて日没後のライトアップが行われ、開園時間が延長される。庭園にふさわしい魅力あるライトアップで定評がある。

  • 3月下旬:正門近くの枝垂桜
  • 11月下旬~12月上旬:紅葉
  • 中の島
  • 妹山
  • 田鶴橋
  • LEDで演出された水香江

脚注[編集]

  1. ^ この「六義」の原典は『詩経』にある漢詩の分類法で、3とおりの体裁「風」「雅」「頌」と、3とおりの表現「賦」「比」「興」からなる。紀貫之はこれを借用して和歌の六体の基調を表した。
  2. ^ 柳沢吉保『六義園記』(1704年)、島内景二『六義園記注解』(2009年)
  3. ^ その当時将軍世子だった後の6代将軍徳川家宣や、紀州藩主だった後の8代将軍徳川吉宗も、六義園をたびたび訪れていることが記録されている。
  4. ^ 「都立公園 無料化が裏目に」『朝日新聞』昭和47年(1972年)6月19日朝刊、24面
  5. ^ 3月下旬の枝垂桜の時期、ゴールデンウィークの躑躅の時期・11月下旬~12月上旬の紅葉の時期など。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、六義園に関連するカテゴリがあります。
[表示]東京都立公園

カテゴリ

蝶恋花

游六義園

駒込南口樱花闲。六義園近,茶花正红艳。
小径通幽垂枝樱,竹林小瀑引凭栏。
春河浮桥映入帘。
古木婀娜,新绿欲参天。
令和水暖鸭早知,风雅颂赋比兴传

白神山地 III

十二湖散策コース (ジュウニコサンサクコース)初めての白神は湖沼群を訪ねて

宝永元(1704)年に起きた大地震によって造られた大小33の湖沼を巡るコース。休憩所なども整備されているので、家族連れでも気軽に歩ける。このコースの見どころは青池。インクを流したような深い青さが神秘的だ。

<转载禁止>
上了车,启动发动机,月色朦胧的路上,一个鬼影也没有。远方山谷也沒再见灯光。恐慌什么呀,自言自语。打开车灯,小心翼翼开始前进,浪漫心情已经消失不见。
看见远处一山头,大脑瞬间出现如下联想,如电影一帧
一帧闪过。海洋里也全是山。地球是海洋1/4。地球与海洋同样在进化。海洋大,海洋应该有比人类更聪明的动物才合理。如果来判断海洋的鱼是否聪明。人的逻辑是什么。
动物们存他们自己的逻辑。海洋没有城市。鱼不会储备食物。人创建城市,工業,化学,宇宙发展。空气透明阻力小,这是相对的,海水的能见度与阻力是相对的,
有的鱼一晃身,几十米开外了。海洋那么深,怎么能有城市。深海压力超大,深暗。海里到处都是山,说建城市也可能。
在鹿儿岛指宿,海边開聞岳,不是開聞山,海里全是山。鱼肯定没有比人类聪明的。至少人类可以捕杀所有的鱼,这是硬道理。海豚十分聪明。在水里跳跃,
他一定十分高兴。高兴就是聪明。高兴的人爱运动,海豚跳来跳去,十分Joy。生病与郁忧的人不运动。人从海洋进化过来。人与鱼的眼睛一样,这是硬逻辑,
一定有同源性。外星人不可能只造了人。上帝不可能只造人。美国打处侵略,文明是硬道理。细菌,感染,自然,实验室,现在爆发,玩刀者终死刀下。
中美贸易战。沒有一个哲学家作评绝,哲学的退步。黑格尔,狂怒,科学毁灭地球,毁灭人类,这简直就是一定的,你信,我信,他信。鲁迅。
台湾趁机诋毁中国共产党。台湾统一。我劝天公重抖擞,不拘一格降人才。地球发热,澳洲10亿动物死亡。
我远离这复杂又危险的世界,驾车在深山中遨游,享受这月光的美。车又驶入深不到边的树林中。阴森恐怖又开始袭来,我下识意按下四个车窗上抬钮,
全部严严实实关牢了。路越来越弯曲,为了开车舒服,身体随车左转左倾,右转右倾,对头脑负荷小。路也越来越窄,路边的树清晰可见,密密的,树笔直笔直向上。

《咏寒松诗》——范云
修条拂层汉。密叶障天浔。
凌风知劲节。负雪见贞心。

暮色苍茫看劲松,乱云飞渡仍从容。

《松树》——白居易
白金换得青松树,君既先栽我不栽。
幸有西风易凭仗,夜深偷送好声来。

松树赤红色树干一根根笔直笔直,高大挺拔。淹没车后的松树无穷无尽。我又联想。两条线平行,无交点。最近我在光明株网站上放入几何的蝴蝶定理。
平面几何有很多定理,勾股定理,拿破仑定理也有。要证明蝴蝶定理,必须理解三角形内角和定理,相似三角形,同弧的圆周角相等,四边形对角180度则共圆。
这些定理应该有个最基本定理,难道是两直线平行无交点。一条直线也能定义吧。怎么定义直线?光。从一点射出光,是直线。理解晦涩,
纯平面东西怎么与光扯到一起。也许必须加上时间。两点间,任意速度,最短时间,直线。
这样开车开了几十公里,没一辆车,没一个人影。心越来越害怕了。突然看见前面路上挂了条幅,哦豁,见鬼了,不会是通行禁业吧,完了,倒车也难。
到前一看,限高3.5米。马上有个隧道。车钻进隧道,很深,隧道没灯,寒气阴森,地面潮湿,开了五分钟,陡然看到另一边有四盏灯在闪,路过时,
看见四个人并排在隧道行走,猛抽一口凉气!我头发猛然竖起来,本来恐怖的心立马窜到嗓子眼里,凶踩油门猛开,没所见有人叫我,沒听见任务声音,
几分钟后蹿出遂路。这一瞬,一辆水色车停在隧道口边上草丛中。接下来还是弯弯曲曲,无头无尾山路,我快速全力开车,头脑除了恐惧,一片空白了。
看后视镜,没车追来。
,,,,,,

白神山地 II

白神山地(青森県) (シラカミサンチ アオモリケン)悠久のときを感じる森の中へ

原生的なブナ林が広がり、貴重な動植物が残る世界遺産。散策コースも初心者から上級者までさまざまあり、観光客に人気の十二湖散策コースでは、美しい湖沼群が楽しめる。新緑の時期は6月。

   开始一片缓慢的上坡,柏油路被月光漂白,两边小灌木丛青绿青绿,月光投下一片朦胧的意境。我切到S4档,勇气陡升,这不是我的童话王国吗,快去快去。柏油路如银色的锻带,

是艺术体操的女生尽力跳高后用手甩出丝带在空中划出的弧线,尽头延伸到一片树林中,消失不见。我娴熟开车沿着丝带静静向前,道路中间线白色可见,空旷大山中只有我一部车,
我也保持车在左侧规整行驶,不越向右侧一步。打开两边车窗,现五月,草的芬芳飘进车来,惢人心脾。我深深呼吸一口气,想着艺术体操女生矫健的舞蹈,那丝带在她手中上下翻腾,
而我的车是那丝带上一点,水平滑行中。车进入一片山林中,树并不那么浓密,月光从树间洒下,白雾般轻柔,装点出平静祥和的树林。两边车窗依旧打开着,这样可以听见树林的声音,
如此平静中,听见了树在互相私语。车开过一段圆弧,在尽头一个急转弯,树林消失,眼前视野突然开阔,刚才是翻越了一个松树林的山岭后,到一个宽阔山谷。整个山谷是一片郁金花的海洋,
天没完全黑,月色睁大眼睛,和蔼望着这片原野,渲染出一片柔和的,淡淡的乳白色意境,几朵白云挂在山谷那也,整个山谷一个人也没有。我在五城目休息区前的恐慎感突然消失,被眼前景色震住了,
居然停车熄火,取下手机,下车拍照。

郁金香是一片一片的,有的一片全是红色,有的一片又全是黄色,每片成长方形,十米长,四米宽,还有的红色,黄色混在一起,花瓣的露水在月色下晶莹剔透。山谷边上有一排樱花树,
樱花满开中,如新娘的婚纱。风也是柔和的。试想,挂在山岗上皎洁月光照亮山谷,山谷鲜花铺地,整个山谷只有我一人独享这景色,有草虫鸣叫,“喓喓草虫,趯趯阜螽。”我踯躅花丛间,
喜欢这靜谧而且神秘的意境,手机导航传出请UTAN,叫我掉头,我一时终了导航。突然,月光全无,抬头一看,月亮没入一大片黑云中,离开车已经几百米了,山谷尽头另一边,一个灯火闪了一下没了,
我立刻胸部一澶,这荒凉野外,大家都自肃在家,难道那边有什么人,为什么灯就闪了一次。这时一阵风来,不再暖和,寒冷刺面,从衣领钻入身体的寒意。日本山野帐篷杀人事件在大脑一秒闪过,浑身要摊下去感觉,赶开回车里去。